あの日から1年で考えること・・
昨年の3.11から早1年ですね。
海外にいて「その時」もその後の混乱も経験してない自分にはおそらくわかってないことがたくさんある。
ただ、それゆえ、正直、違和感もあるんです。。
「絆、きずな」・・「がんばれ」・・ん、何・・?
募金して、黙祷して。。これで日本人はひとつ。。ってホント??
縁あって、この20数年、年間の相当数を福島で仕事を通じて過ごしています。
震災の1週前、タイに行く直前まで福島にいました。
福島の人は優しくて穏やかな人が多いと感じます。何かあってもグッと耐えてしまうような。
家族と離れて単身福島で仕事してる仲間や、マスクして学校へ通う子供たち。
もう十分すぎるほど苦しんで耐えて頑張ってますよ。
いっぽうで聞かれる悲しい現実。。汚染のない食物ですら売ることさえ拒否され、
およそ放射能とは関係のない岩手のガレキさえ受け入れず・・。
絆だ、がんばれ東北だ、声は出すけど、募金はするけど、祈りもするけど。。なんか虚しく響きませんかね。
確かに放射能の危険性の基準なんてあってないようなもの。。専門家でもわからないんでしょうね。
私のところ、首都圏だって安全かどうか。。
でも、だからこそ子どもたちには言うんです。。
“親より寿命は短いかもしれないよ。だからこそ1日1日をしっかり生きなきゃいけないよ”って。
何年生きたかよりどう生きたか。。じゃないかと。。
自分たちのことを優先し、仮にそれで少し長生きできたとして。。それがなんなのよ?ってね。
タイの洪水では自分たちを犠牲にして首都バンコクを守った人がたくさんいました。
問題のレベルが違うにしてもなんかなぁ、って思うんです。
明日からまた福島へ行ってきます。。
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